History〜フリーランスのウェディングプランナーになった訳



初めまして の方に・・ 私が回り道をしながらも、 なぜ 式場プランナーではなく、 フリーランスのウェディングプランナーになったのか、 ・・・のこれまでのストーリーをご紹介します




1993年5月 自称ゼクシィ創刊号を日本一使い倒した花嫁


1993年皇太子妃雅子様がご成婚された年に入籍した私。
いざ結婚式場を探し始めたものの、当時はみんな判で押したような結婚式が主流の時代でした。
そんなつまんない結婚式は絶対にやりたくない!!・・・当時新進気鋭の空間プロデューサーだった主人が教えてくれたのは・・・

「ゼクシィ創刊号」

すごいね、これ! すっかり感激した私。
明らかにほかのけっこんぴあなどの結婚情報誌とは一線を画し、異彩をはなっていたその表紙! (今でもすごい表紙と内容だった心から絶賛。当時の編集長さんに会いたい・・)
ゼクシィはXYというロゴで、今とはまったくコンセプトが違い、当時の結婚式業界に殴り込みをかける勢いの、それはそれは斬新すぎる、自由でおしゃれできわめてとんがった結婚式を提案していたのです。

むさぼるように読みあさり、掲載されていた場所は、半年かけてほぼすべて下見に行きました。 毎日バイブルのようにいつも持ち歩いていたゼクシイは、みるも無残なほどぼろぼろになりました。 しかしもうみるところがなくなったという半年後に主人が一言。

「日本では自分がやりたい場所がないな。。」



1994年5月 運命を変えたガラスの教会との出会い



えええええええ!!!!!! ???   
私がどんなに愕然とし 落胆し涙にくれたたことか・・・。想像できるでしょうか。

「もう一生結婚式はできない。。」・・とあきらめかけた時

たまたま図書館から借りてきた本に、アメリカにガラスでできた教会がある、と書いてありました。 その一行が、キラキラ光って見えて、いてもたってもいられず、どこにあるのかと調べまくったところ、 映画「インナースペース」のラストシーンに出てくる教会のことかもと、と教えてくれた方がいて、早速ビデオを借りてきました。
あまりに美しいそのシーンに一目ぼれ。その土地の石と木でできた教会。森の中に自然とともに息づくように、空に心を開く、コンセプト、デザイン、何もかもにすっかり心奪われました。調べているうちに、建築家のフランクロイドライトの息子さんのデザインであることを知り、運命を感じました。
「一生に一度でいいからその場所に行ってみたい・・。」
・・・いや!!

「何が何でも絶対にここで結婚式をやる!!」・・・と心に誓いました。

そしてそれから半年後、私の夢は実現することになったのです。



1994年11月.ロサンゼルスの大自然の中で涙涙の結婚式



ガラスの教会はロサンゼルスの郊外にあり断崖絶壁の崖の上に立っていました。太平洋を見渡すその場所には花が咲き乱れ、緑の豊かな木々に囲まれ、自然のパワーを感じる空間。本当に圧巻でした。

挙式当日、朝から土砂降りの雨だったのに、 チャペルに着く頃には、ぱぁぁっと青空になり 眩しい陽射しが差し込むチャペルは全てがキラキラ輝いて、 浄化されたように見えました。

何より、夢に見た場所に到着するなり涙が止まらなかった私をまるでファミリーのように可愛がって迎え入れてくれたカメラマン兼ヘアメイク兼コーディネーターさん(今でもこういう人は日本では考えられませんね?)が至れり尽くせり、フレンドリーで暖かい心遣いにいたく感動しました。


ロサンゼルスに着いた日の夜には一緒にお食事にいき 挙式前日には一緒に韓国式のエステサロンに行って文字通り裸のお付き合い。挙式後も一緒に美味しいお寿司を食べに行って打ち上げ! 写真も、当時、日本では結婚式の写真といえば お決まりポーズの硬い表情のものしかありませんでしたが、自由にはしゃぎ回りながら笑顔いっぱいで のびのびしつつ、本当にたくさん写真を撮ってくれました。小花の花かんむりは イメージと全く違ってがっつり大ぶりな感じになっていましたが、そんなことは気にならないほど、心が解き放たれ、自然の中で本当の自分に出会えたような感覚を味わいました。 いよいよ帰国という日には、飛行機の時間に間に合ったと駆けつけてくれて、全ての写真を焼いて持ってきてくれました。黒い台紙に挟んだだけの質素なものでしたが 立派な装丁のアルバムより何倍も嬉しくて、ハグしてくれたその優しさにもまた涙が溢れました。

いつの日かこんなに自由で楽しくて暖かく自然と生きていく喜びを感じられるような結婚式を 日本でプロデュースしたい!

そう心に誓って帰国したのでした。



1998年2月 プロデュースの足がかりとしてまずはプロ司会としてデビュー



しかし 当時はウェディングプランナーなる職業すらない時代。勉強するにも方法もわからず、何をどうしたら思い描く結婚式を実現できるようになるのか、さっぱりわかりませんでした。

とりあえずウェディングの現状を知ることから始めようと、学生さんに混じって結婚式場でのアルバイトを始めました。

そこでみた司会者のお仕事ぶりを見て、一番プロデュースの実現に近いところにいる立場であることを学び、大手司会事務所の門を叩きました。礼儀にも厳しい事務所だったおかげで精神的にも鍛えていただき、プロ司会としてデビューしてから有名ホテルや結婚式場などでたくさんの経験を積ませていただきました。才能ある優しい先輩方にも恵まれ、現場で裏側も見て、いいことも悪いことも本当に様々な体験をしながらたくさんのことを学びました。

当時は司会者が新郎新婦のご希望をまとめて進行表を作って式場の担当者さんに提出し、当日は司会者が新郎新婦のご希望を現場スタッフに伝える役目を担っていました。個人的なことを相談されることも多く、困っている新郎新婦のお役に立ちたいと必死だったので (事務所には内緒でしたが) 新郎に頼まれてスピーチ台本を書いたり、オリジナルのリングピローや結婚証明書、招待状をはじめとしたペーパーアイテムなどを作ってあげたり、涙ながらのお悩みを一晩かけて聞いたこともありました。両親の意見が合わないので調整して欲しいと言われて緊張しながらご両家ご両親のお話を聞かせていただいたこともあります。そんな体験から、新郎新婦様の側に立って お二人のマネージャーのような存在が求められていることを肌で感じ、独立を決意しました。



2007年7月7日セブンハピネス創業


試行錯誤をしてかなり遠回りをしていた私。
プロ司会としてフリーとなってからも口コミでお仕事をいただけるようになり、 持ち込み司会だったのに式場からもスカウトを受けることもありました。 しかし、1組1組の新郎新婦様とじっくりと向き合って最高の結婚式を作るお手伝いがしたいという気持ちが揺らぐことは一度もありませんでした。
土日のプロ司会の仕事の他に、平日は辛くて毎日泣きながらやっていたテレホンアポインターの仕事や店頭プレゼンターの仕事、など、起業の資金ために、がむしゃらに働いてコツコツお金を貯め、ついに!!
2007年7月7日セブンハピネスを創業!!
記念すべき日には、それまでお世話になった新郎新婦様や親しい友人がお祝いに駆けつけてくれました。

創業のコンセプトは「ありがとうを伝えたい」
今となっては 当たり前 になっていますが、当時は、結婚式は 新郎新婦がゲストから祝福をもらうためのもの、という考え方が主流で、そんなことをうたっている式場はどこにもありませんでした。新郎新婦がこれまでお世話になったゲストに二人の想いを伝える結婚式があってもいいはず! 心の矢印の向きを反対側にしたい!と、私もありったけの思いを込め、初めて手作りしたイメージ映像とパンフレットを手に、新たなチャレンジの日々が始まりました。



2008年9月 船上ウェディングをプロデュース


初めてのプロデュースは 4年越しで結婚式の夢を叶えたお二人のご希望で船上ウェディング。 4歳のお嬢様の花かんむりやリングピロー、ランチョンマットや船内の装飾、ギフトラッピングなどを新婦様とご友人と一緒に手作りしました。

ギフトは一人一人違うものをお選びだったのでギフトに全て名前のシールを貼ったり、サプライズの演出をいくつも仕込んで盛りだくさんの結婚式。新婦にウェディングドレスを着せてやりたかったという男前の新郎様。その新郎様が親御様への想いを語ったその涙にもらい泣き、お見送りの後に新婦様ともハグしてもらい泣き、スタッフ一人一人の素晴らしい働きっぷりにも涙涙でした。船のウェディング担当者の方も本当に思いやりの深い素敵な方で今も忘れられません。

そして当日の新婦様の美しかったこと。。その優しく暖かなお人柄にも惚れずにはいられなかった。。 私にとっても一生忘れられない船出となりました。



2009年3月 東京カフェウェディングプロデューススタート


細々と口コミでお仕事をいただいていましたが、当時はまだまだフリーランスとしてウェディングをプロデュースするには 大きな壁がたくさんありました。

ホテルや式場には当然専属のプランナーさんがいらっしゃいますので、会場側のプランナーさんと、新郎新婦側のプランナーのコラボという方法があるのではないか?と思い、司会として新郎新婦様の打ち合わせに同席しながらバックサポートをして、式場とタイアップする道を探りはじめました。

コンシェルジュMCと名乗り、あくまで立場は司会者ですが、最初の段階から毎回新郎新婦の打合せに同席させてもらい、プランナーさんにいぶかしがられながら当日までサポートをしていました。もちろん式場に迷惑をかけるつもりは全くありませんでした。しかし、意に反して、まるで敵がやってきたような対応だったり、必要なことを教えてもらえなかったりする式場もありました。新郎新婦様には喜んでいただいていたものの、式場側は厳しい対応のところが多い時代でした。
とある超有名ホテルでは、新郎新婦様がいないところで、支配人が奥から出てきて「一体何が目的なんだ?」と、すごい声で怒鳴られたこともありました。あまりのショックで、お二人のお役に立ちたいだけです、という言葉も返すことすらできず、自分の情けなさに、ロビーに降りたところで我慢しきれず号泣したこともありました。

あまりにも世間知らず、のただのあまちゃん、だったのです。けれど、それで諦めようと思ったことは一度もありませんでした。中には、会場のプランナーさんや現場のキャプテンが人柄もとても素晴らしい方で、「野口さんのような新郎新婦と会場の間に入ってくれる存在は必要だと思う」とか「またぜひ来てください!」と応援してくださる方もいらっしゃり、自分がやろうとしていることは間違っていない、という確信があったからです。しかし私ごときが、一人であがいても何も変わらない。。このままではだめだ、どうしたらいいんだろうと悩み、落ち込む日々が続いていました。

そんな時、ふと閃いたのが「カフェ」でした。従来のウェディングにとらわれず、予算を抑えながら自由でアットホームな結婚式ができるという提案を持ってカフェを回ると、カフェの担当者の方も自分たちだけではできないからぜひ、と喜んでくださることが多く、やっと自分の居場所を見つけた、そんな思いでやっとフルプロデュースが実現するようになりました



2011年3月 Natural & Ethical Wedding をコンセプトに



新郎新婦様と一緒に会場を探し回るうち、交渉するのに時間はかかりましたが、レストランや歴史的建造物、撮影スタジオ、フリースペース、屋形船、博物館など・・ウェディングをプロデュースさせてもらえる場所が徐々に増えてきました。 また 従来の挙式+披露宴というパターンにとらわれない、様々なスタイルをご提案させていただくようになりました。

しかし忘れもしない、あの2011年3月11日の震災。

その日の夜から翌日の新婦様の涙と 翌日に行われたひたすら号泣状態の結婚式のこと。 それから一週間後に行われたレストランでの結婚式でのこと。 それから半年の間、様々な新郎新婦様の涙や会場とのやり取り。。そんな中で
「結婚式」がどんなに人生にとって大切なセレモニーなのか

を心底味わいました。これを体験するとしないとでは、本当に人生が変わる。。と心が震えました。

同時に、毎回自分の結婚式の原点を思い出し、私にもできることがあるとするならば

「人と自然とつなぐ結婚式」


を体験してもらうことにあるのではないかと考えるようになりました。

そんな結婚式をしてくださった新郎新婦様が、ゲストの皆様が、 そして、お二人の子供たちが、きっと未来を変えてくれる!
そこで、創業以来10年間掲げて来た「ありがとうを伝えたい」というコンセプトから

「結婚式で未来を創ろう」 というコンセプトにシフトしました。

結婚式をしない、という 選択をされる新郎新婦様も多い中、
「お金がないから」「時間がないから」「子供がいるから」「家族関係が複雑だから」 こそ、1組でも多くの人に

「二人にしかできない結婚式をぜひ体験して欲しい!」

そんな私の想いに共感してくださる、素敵な新郎新婦様に出会うたび、感謝の気持ちでいっぱいになります。

なぜか美男美女の新郎新婦様ばかり!
結婚式が終わった後も次の結婚式のお手伝いをしにきてくださったり、自分の体験をシェアしてくださったり、 何かと私のことも気にかけてくださってお便りをくださったり。。。 本当にこんな素敵な人が世の中にいたんだ、それを知ることができただけでも、この道を選んでよかった、と心から思うのです。


こんな風に 花嫁様から 次の花嫁様に 幸せがリレーされるような 結婚式も形にしたいと考えています。
そしていつかは 「自然エネルギーだけで実現できる結婚式場を作りたい!!」

そのための仲間を募り資金作りをしなければとまた試行錯誤の日々です。 いつかそこに新郎新婦さまに感謝を込めてお名前を刻ませていただきたいというの最大の私の夢。 もちろんまだまだやらなければならないことは山積みで、自分の力のちっぽけさを改めて思い知る毎日ですが・・・

1組でも多くの新郎新婦様が 最高の1日を迎えられますよう これからも プロデュースを超えた活動もしていきたいと思っています


2018年9月20日

野口雅子

[ History〜フリーランスのウェディングプランナーになった... ]About, , , 2018/09/01 22:31

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