私がフリーのプランナーになった理由
初めましての方に
私が、回り道をしながらも
なぜフリーランスのウェディングプランナーになったのか
これまでのストーリーをご紹介します
01 | 自称ゼクシィ創刊号を日本一使い倒した花嫁
1993年、現皇后の雅子様がご成婚された年に入籍した私。同じ名前にあやかってその年のうちに結婚式を!ということになり、結婚式場を探し始めたものの、当時はみんな判で押したような結婚式が主流の時代。
そんなつまんない結婚式は絶対にやりたくない!!
と、当時 新進気鋭の空間プロデューサーだった主人が私を本屋さんに連れて行き、指をさしたのは
ゼクシィ創刊号!
「わあ、すごいね、これ!」
結婚式の情報自体が少ない時代、わずかに本屋に並んでいたのは けっこんぴあ、ともう一冊 (名前は忘れた) の二冊くらいでした。。
しかし、そのとき、その横に、まさかこれが結婚情報誌? といった風情で、明らかに一線を画し、異彩をはなって平積みにされていたその表紙!(今でもこんなのないと、心から絶賛します。当時の編集長さんに会ってお礼がいいたいなぁ・・)
「XYって ゼクシイってよむの? へええ。」
今とは違って、当時の結婚式業界に殴り込みをかける勢いの、斬新すぎる、自由でおしゃれで、きわめてとんがった結婚式を提案していました。
むさぼるように読みあさり、掲載されていた関東近県の場所は、半年かけてほぼすべて下見に行きました。
毎日バイブルのようにいつも持ち歩いていたゼクシイ創刊号は、みるも無残なほど、ぼろぼろになってしまいました。半年後、もう見るところがなくなったけど、どうする?・・といった私に、旦那様が一言。
「日本では自分がやりたい場所がないな。。」
02 | 運命のガラスの教会との出会い
「えええええええ!!!!!! ???」
なにをおっしゃる、旦那様。
私がどんなに愕然とし、落胆し、涙にくれたたことか・・・。ご想像いただけるでしょうか。
じゃ、海外はというと「猫も杓子も行くようなハワイとか、ましてやグアムサイパン(当時は若者の海外旅行の定番)なんか絶対やだ。」と言われてしまい・・
「ああ、、もう一生、結婚式はできないかもしれない。。」
万策つきて、気力が萎え、結婚式は、あきらめることにしました。(泣)
そんなとき、たまたま図書館から借りてきた本に、ガラスでできた教会を造った牧師さんがいる、と書いてありました。
「ガラスの教会・・?」
その一行が、目に飛び込んできて、どきどきがとまらず、いてもたってもいられなくなって、どこにあるのかと調べまくりました。
当時はインターネットはない時代!どうやって探したらいいのかもわからないので会う人ごとに、知ってる?って聞いて歩いてた。
ほどなくして、映画「インナースペース」に出てくる教会のことかも?と、と教えてくれた方がいて、早速ビデオを借りてきました。
ラストのウェディングシーン、メグ・ライアンが扉を開ける瞬間、あまりに美しいその教会に、一目ぼれ。
その土地由来の石と木で作られ、森の中に自然とともに息づくようにひっそりと、しかし気高く、美しく、シンプルで、空に心をひらき、自然とともに生きるというコンセプト。
何もかもにすっかり心奪われました。
そして、帝国ホテルや落水荘で有名な建築家のフランク・ロイド・ライトの息子さんの作品であることを知り、雷に打たれたような運命を感じました。
「一生に一度でいいから、行ってみたい・・。」
・・・いや、、!
「何が何でも絶対にここで結婚式をする!!」といつしか心に誓っていました。
しかし旦那様は、どこにあるかもわからないし、行ったこともないところなんて・・と大反対の後ろ向き。おいおい・・日本じゃだめっていったじゃない?
それから半年後、私の夢はついに実現することになったのです。
03 | LAの大自然の中で涙涙の結婚式
1994年11月8日 いよいよその日がやってきました。
ガラスの教会はロサンゼルスの郊外にあり断崖絶壁の崖の上に立っていました。太平洋を見渡すその場所には花が咲き乱れ、緑の豊かな木々に囲まれ、自然のパワーを感じる空間。本当に圧巻でした。